推せんのことば  田岡信夫

斧田大公望氏は私の20年来の旧友であり、また同志でもある。

同志であるといったのは、昭和30年(1965)頃、われわれは一橋大学名誉教授でもある南博氏の主宰する社会心理研究所の研究員同士であった。当時、現在学習院大学教授の加藤秀俊氏や成城大学教授の石川弘義氏、(株)日本リサーチセンター専務取締役の二木宏二氏など多士済々がこの研究所のメンバーとして研究と同時に戦後の新らしい社会科学の確立を目指して努力していた。

4年後、われわれ2人は研究所を去ることになったが、その理由は次の2つにあった。

1つは、社会心理学にあきたらなくなってしまったのである。それはこの学問がもつ統計学の応用と調査の科学性ということについて疑問をもったからであった。

もう1つは、社会科学の有用性ということに関してであった。それは、われわれの興味が経営科学やマーケティングといった戦後の新らしい応用科学に傾斜しており、それがわれわれの新らしい研究へのキッカケともなったのであった。

さて、私がランチェスター法則というものに関心をもったのは、この文中にも紹介されているように、昭和35年(1960年)に発刊された安芸皎一氏や大来佐武郎氏ら当時の完了グループによって作られていた昭和同人会の編さんした『企業間競争と技術』[本文(4.4.1)参照]という書物であった。この本は、エネルギー資源の交替とそのイノベーションによって生ずる産業間の競争とそのライフ・サイクルの提起という極めて重要なテーマについて歴史的考察を行い、その中でランチェスター法則についてわずか5行だけふれていたのである。

当時、私はわが国の社会科学の中で、もっともおくれているものの1つが競争ということについての科学的研究であり、それは必然的に軍事科学ともつながってゆく宿命にあることも予見していたが、軍事科学はともあれ、まず競争そのものの科学的研究とそのルール化を試みようと考えた。そのもっとも体系的で理論的な法則がランチェスター法則だったのである。

昭和37年(1962年)の夏、高野山・西門院で開かれたSPB(社団法人セールス・プロモーション・ビューロー)の合宿セミナーの夜、同じ講師として宿坊の 1 室に酒席も絶たれた私と斧田氏は、このランチェスター法則についての徹底的な研究とその理論構成を展開しようと誓い合った。

あれから17年の歳月はまたたく間に過ぎ去っていった。

そして、わが国の異常な高度成長とオイル・ショックによってもたらされたその停滞は、まさにランチェスター法則の正しさとともに、われわれが展開してきたいくつかのルールやその実証的成果を証明する結果となった。

現在、ランチェスター戦略については、デミング博士の言葉を借りれば「ランチェスターを知らない経営者は電話帳から姿を消す」といっても過言ではないほど、その思想と競争のルールは実証され成果をあげている。

ここに発刊の運びとなった斧田氏の『競争に勝つ科学』は、そのルールとなっている基本的な原理とその統計学的基礎理論について完全に整理されたものとして完結したのである。

この本は全体を通してかなり難解な統計の数字が並んでいるので、この書物の読破にはやや専門的な統計学の知識と数学の素養が必要とされるであろうが、ランチェスターの研究に欠かせぬテキストとして是非おすすめしたいと思う。

なお、年余にわたりペンを持ち続けた斧田氏に心より讃辞を送りたいと思う。

於 六本木 経営統計研究会・専務理事
(株)ランチェスターシステムズ・代表取締役